『馬 鹿』



「ざけんな、ばーか。」


そのひとことだけで、わたしたちの関係がわかると思う。



わたしたち、つまりは楽天丸とわたし、の関係。

顔を見るのも嫌。
親しく言葉を交わすなんてもってのほか。
やむなく会話すれば、数秒と持たずに苛立ちが沸き立つほどの険悪さ。
しまいには、楽天丸が吐き捨てるように悪態ついて駆け去り、会話終了。
そのくせ毎日のように憎まれ口を叩きにくるし。

初めはとりなそうとしてくれていた賽天太が最近では目を伏せひたすら嵐を耐え忍ぶがごとく身を硬くしているのが哀れだ。

「…またやってたの?」

中庭でのやりとりを聞いていたのだろう。
薬物生成のための工房から、夕霧が心配そうにこちらへ近づいてきた。

「今度は何。」

「…昼のおにぎり、わたしがわざと小さいの渡したって。」

そもそもこの双子たちとの仲が初めから悪かったわけではない。
自慢ではないが私は平々凡々とした特徴の無い人間だ。
初対面から良かれ悪しかれ何らかの印象を与えられるほどの個性なぞあるはずも無い。
それがなぜこんなことになっているのかというと、

「いまだにあのこと根にもたれてるねぇ。」

「……いくら子供だからって、大人気が無さ過ぎると思うの。」

「ま、それだけ怒らせたって事でしょ。」

「………やっぱり?」

そう、嫌われるきっかけを作ったのは、わたし。





あれは、まだ里に来て間も無い頃だった。
わたしはなかなか皆の顔と名前が一致せず困っていた。

言い訳をするつもりは無いが、今までは名前なぞ意識して覚える必要も無かったのだ。
わたしはただ、目の前にある仕事をこなすだけ。
覚えなければ差しさわりのある名前なんて長い囚われ生活、物心つく頃にはもう覚えていたのだし。
気に掛けなくてはならないのはただ一つ。味方かそうでないかの見極めだけだったのだから。
積極的に名前を知りたい、なんて思ったのは生まれて初めてと言っていい。

そんなわけで、ここに来てからというもの、わたしは人の名前を間違えてばかりいた。


「あの、ええと、小夜さん」

「…、小夜はあっち。わたしは蘭。いいかげん間違えないでよね。」

いまではすっかり慣れてしまったが、この頃はひたすら恐ろしかった蘭さんのきつい物言いに、少し泣きそうになりながら用事を済ませる。
少し前にも騨丈さんを団蔵さんと呼んで苦笑いされたばかりなのに。



わたしは名前がわからないのに、皆はわたしの名前を知っている……。
暗い気持ちで振り向くと、赤っぽい髪の男の子が立っていた。

この子はわかる。

里に着くまでずっと一緒にいてくれたもの。
戦闘ではなにやら危なそうな人形を操っていたのに話してみればずいぶんとやさしげな子だ、と意外に思ったのでよく覚えている。

「なあに?賽天太くん」

ほっとして呼びかけると、相手は怒りをあらわに、地団太でも踏みそうな勢いだ。
なにか腹の立つことでもあったのだろう。滅多に怒りそうに無い子だと思ったのだが、珍しいことだ。
そう思いながら眺めていると、相手はますます怒りを募らせている様子だ。

「賽天太くん、どうしたの?」

「ばかか、お前、間違えんな。俺は楽天丸ってんだ。覚えとけっ!」

なんの用事があったのか、そう怒鳴ると駆けて行ってしまった。
どうやら、わたしの知る賽天太とは別に、もう一人いたらしい。

「あんた、双子知らなかったんだ?」

呆然と声のするほうを見ると、いつからいたのか女の子が一人、おもしろがるように笑みを浮かべてそばにいた。

「あ…、風子さん」

いつのまに、という疑問は飲み込んで(なにしろ忍の里だ)とりあえず返事を返すと、
彼女はへえ、あたしの名前、覚えてんだ。とうれしそうな顔をして寄ってきた。

女子で足を惜しげもなくさらしているのは彼女くらいのものだ。真っ先に覚えた。
そんなことを考えつつ、すっきりと伸びた足を見るともなしに見た。
あいかわらず引き締まった良い足をしている。

「じゃあさ、忠告。双子はねぇ、弟はまあ、いいんだけど。兄貴のほう。さっきの奴、楽天丸ね。怒らすと厄介なんだよねぇ。
ま、一度気に入られちまえばそうでもないんだけどさ。」

嫌われたら煩いったら。
何かを思い出すように顔をしかめて、はたはたと手を振る。

「ま、せいぜい怒らせないように気をつけな。」

何かもう怒らせた感がしないでもないが、ともかく彼らが双子で先ほどの生意気なのは楽天丸というらしい、というのはわかった。

忘れないように、生意気なのが楽天丸。生意気なのが楽天丸。なまらくなまらく。
と、呪文のようにつぶやきながら歩いてゆくと、さほど遠くには行ってなかったらしく、赤い頭がふたつ見えた。

今度は大丈夫。
二人いるので、違いははっきり見て取れる。

「なまら…、楽天太くん。」

なまらく、と呼びかけそうになるのを堪えて、目元の強いほうに声を掛ける。
ただでさえ力のこもった口元にさらに圧力が加えられてゆくのがわかった。

まだ怒っているのか。
ともかくあやまろうと、精一杯の親しみをこめて、笑顔を作った。

「さっきはごめんね。わたし、賽天太くんの事しか知らなくて。」

「…おねえちゃん」

「ほら、わたしが仲間になったとき、楽天太くん居なかったじゃない?お留守番してたのかな。
あのとき一緒にいたら、もっと早く名前覚えたんだけど。」

ねえちゃん」

「ほんとうにごめんなさい。でももう名前覚えたから大丈夫……」

言葉を重ねるごとにますます険しくなる顔に内心あせりつつ再度あやまり、なにやら袖を曳かれてふとみると、賽天太があせったようなおびえたような顔で、

「…なまえ」

と言った。

名前?

こっちは賽天太だ。それは間違いない。
少しはんなりとした「あどけない」という言葉の良く似合う顔は、確かに一緒に里への道を辿りつつ会話を交わした少年のものだ。
双子とわかってしまえば、簡単に見分けがつくほど顔つきが違う。

ということは。

「ばかにしてんのか、おまえ。覚えとけっつたろ!!おりゃあ、楽天丸だっっ!勝手にごっちゃにしてんじゃねぇ!」

馬鹿っ!

最後にひとこと怒鳴りつけると、ふん、と頭を一振りして行ってしまった。

「…おねえちゃん。あのね、お兄ちゃんはね、戦闘に出たかったのに出してもらえなかったりすると、すごく怒るんだよ。
だからね、あのとき居なかったとか、言わないほうがいいと思うよ。」

今度から気をつけてね。と言い置くと、賽天太は少し先でいらいらと待っている楽天丸の元へ小走りで駆けていき、どうやら二重にまずいことを言ってしまったわたしは、一人取り残されて途方にくれた。


ぼんやりと過去を振り返っていると、夕霧がひどくじれったそうな顔をして口を開いた。

「あんたもねぇ、少し言い返すくらいすればいいのに。」

あれ以来、事あるごとに突っかかってくるようになった楽天丸のことを、わたしは正直扱いかねていた。
それだから、なるべくにこにこと逆らわないように心がけていたのだが。

「だって、そんなことしたらよけいに怒るじゃない。面倒起こしたくないし。」

「そう?なんだか楽天丸、かまわれたくって寄ってきてる感じがしない?」

「えー、なんでわたしに…」

「だからさ、いっぺんガツンと言ってやればいいのよ。そしたら嫌がってるんだってわかるって。」

「…わたし、嫌そうじゃない?」

「んー、少なくともあんたと居るとき、楽天丸は楽しそうよね。」

楽しんでいる。
意外だった。まさかそんな事を言われるとは。
夕霧の眼がおかしいのか、それとも…

「甘えてんのよ。」

突如背後から言い切られ、驚いて振り向くと、蘭さんが肩をぐるぐる回しながらこちらに歩いてくるところだった。
ああもう、肩が凝るったら、などとつぶやきながら。

「あの子、結局子供だって事でしょ。あんたがやさしくするからつけあがんのよ。」

しゃきっとしなさい、しゃきっと。

蘭さんはそう言ってわたしの背中をひとつ叩くとそのまま行ってしまった。

「…ま、一度きちんと話してみれば。」

「…そだね、考えとく。」

なんだか話に区切りがついてしまったので、そのまま仕事に戻ることにした。





とはいえ、まさか「さあ、話し合おう」などと言い出せるわけもなく、今日もまた相変わらず悪態吐きに来た彼を、わたしはどうしたもんかと眺めていた。

「だから、…じゃねぇの、おまえ。」

そんなことして楽しいの?
なんだか険悪になりそうだ。

「返事くらいしろよ。」

わたしたち、もっと仲良くなれると思うの。
…これは絶対反発される。

「おい」

そうだ、いきなり殴ってみるのはどうだろう。
わたしが勝ったら一目置かれるかもしれない。
が、負ける確率の方が高そうだ。

「ばかか、おまえ。」

「馬鹿じゃないよ。馬鹿っていうのは馬が走ってるの見て鹿が走ってるって言う人の事だもの。
わたしは、馬と鹿の区別くらい、ちゃんとできます。」

思い切って口答えしてみた。

「は!じゃあ阿呆はなんだよ。」

「……………阿毘羅を見て、なんて美人だって呆然とした人。」

「あんだ、そりゃ。」

楽天丸は笑った。
悪意のない笑顔だと思った。

「そんじゃ、おまえは丸太だな。」

「なにそれ。」

「楽天丸と賽天太の区別がつかねぇからな。」

「いまは、絶対に間違えません。全然雰囲気違うもの。はっきり区別できるわよ。」

声を強めて言い切ると、楽天丸は一瞬きょとんとした後、そうか、とこれまでにない笑顔を返してきた。

わたしの勝手な思い込みだけで、本当はわたしたち良い関係だったんじゃないか。
思わずそう考えるほど無邪気な笑みだった。

「良い笑顔してるのねぇ」

思わず口に出すと、案の定

「何気持ち悪いこと言ってんだ、ばーか。」

怒鳴りつけて行ってしまった。
それでもなんとなく、わたしの中で楽天丸への印象は、良いほうへ変わったようだった。



!この馬鹿!」

「馬鹿じゃないよ。馬鹿って言うほうが馬鹿だもの。」

わたしは、少しずつだが楽天丸への態度を変えつつあった。

「楽天丸、おまえあんましにつっかかってやるな。」

たまに見かねて騨丈さんあたりが窘めてくれたりもするけれど、もう大丈夫だ。

「いいえ、つっかかってもらって結構です。」

ほう、と騨丈さんがおもしろそうな顔をする。

「こうして、忌憚なく話し掛けてくるのは、わたしに心を開いている証拠です。」

「は?何いってんだお前」

馬鹿にしたように言い放つ楽天丸を構わず腕に抱きこむ。

「わたくしのことが、好きなのです!」

「ざけんな、ばーか!」

みるみる色を変える彼の反応を、可愛いと思えるようになったから、たぶんわたしたちはうまくやっていけると思う。



あとがき


巫女…。阿毘羅に対して失礼だ。

楽天丸小説です。
これ、楽天丸が本気で巫女嫌ってたとしたら嫌ですね。
人間関係、気の持ちようって事で。

双子はどっちかというと楽天丸のほうが好きなんです。
戦闘画面で無言で切りつける賽天太も良いと思うけれど。


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